多くの人は、何が正解で何が間違っているのかを決めたがります。公私ともにそんなシーンによく出会う。でも決めたからといって現状がよくなるのかな?ちょっと今回はそんなことについて触れてみようと思います。
少し前、息子がA君に傘で殴られました。
よけた拍子に耳に当たり、近くにいた大人に手当てをしてもらって大事にはいたりませんでした。その後A君のお母さんから電話で「Aが悪いのできつく叱っておきました」と謝罪がありました。お母さまが泣いてる様子でしたしその場は謝罪を受け入れ、後に先生と話す機会があったので先方ともう一度顔を見てお話がしたいとお願いしました。
傘で殴って息子に怪我をさせたことはもちろん良いことではないとわかっています。でも大切なのは誰が悪いのかではなく、どうしてそんなことになってしまったのかA君の話を聞いてあげる機会を家や学校で作った方がいいと提案をしました。
日頃からうちの息子にちょっかいを出しては嫌がらせをしていたこともあり、この件はA君が悪いから叱るということでは終わらないんじゃないかと思ったからです。きっとA君自身も殴ったことは悪いことだとわかっているはずですから。
先生の理解があって、わたしの提案通り「どちらが悪いのか」と結論つけるのではなく、これからどうしたらA君の気持ちが落ち着くのかを、先生、A君のお母さん、わたしの3人で話し合うことができました。
何かを解決させる時。
何かを決める時。
何かを変える時。
こういうシーンではどうしても白黒つけたがる人が現れます。その方が話が早く片付くからだと思います。
白黒つけてはいけないということではなく、その事柄においてどの部分にフォーカスするべきなのかを見極めること。誰が悪いのかが決まればスッキリするような気がしてしまう。でも性急に結論づけたいという欲を少し横に置いてから、どの部分がこの話し合いのキモなのかということに目を向けることが大切なのではないかと思うのです。
息子のケンカも、どちらが悪いのかを決めずに「どの部分をお互い知っておけば相手への理解が深まるのか」を話し合うことで大いに前進できたんじゃないかなと思います。 神経質に相手を自分の思い通りにコントロールしたがる息子と、自分のルールが他の子とは違うA君。時間が来たらきちんと並ばせたい息子と、自分が納得できる準備ができてから並びたいA君。
息子には「A君は自分のペースがあるから無理強いをしないで声をかけてあげよう」 A君には「どれだけ自分のペースを乱されても相手が怪我をするようなことはしてはいけない」
いまだ仲良しではありませんが、お互いのやり方を知り今は怪我をするようなケンカにはならなくなりました。
どちらも悪いことはあるかもしれないけれど、どちらも悪くない。
そういうことを根本に持っていれば、この様々な価値観を持った人が生きやすくなります。
「あなたは間違ってる」というのは簡単です。
しかし簡単な方へ流されないで、時には時間がかかってもきちんと向き合うことが必要ではないかと思うのです。
相手が自分と意見が異なる場合、相手の意見に耳を傾けて「誰が」ではなく「何が」違うと思ったのかを話し合い、相手の想いのキモが何なのかを知ることができればもっと前向きに進めていくことができるのではないでしょうか。
浅野かおり