(先日個人のFacebookで書いた内容のままBOOKにしました)
違和感の正体がわかった。 「そもそもを見失っていた」だけだったのです。 結論から言うと、わが社の理念《テンション高めの女子をつくる》とは、女子のテンションを高めにすることではなかったです。ちゃんと思い出しました。
20数年前、わたしは時代も手伝って就職もアルバイトも面接で落とされたことがなかったんですよね。25歳で結婚するまでは。
それが履歴書の《配偶者有り》に丸をつけるようになってから、正社員で採用をもらえくなりました。「出産のご予定は?」「残業はできますか?」30までは子どもを持つつもりはなかったし、残業だって好きなだけできるのに、面接官の答えはNO。学歴もない、経験もないわたしは未婚女子という武器を失ったんだなと思いました(それ自体考え方がなんだかおかしいが)
時代が時代だったのでわたしはそういうもんなんだと受け入れるというか諦めて、おとなしく派遣を働き口にし同時に今の会社の原形を夫と立ち上げて生活を始めました。
「意欲のある女性が既婚未婚で差別されるのって不思議だよね」と夫は慰めてくれてたけど、派遣先でも「なんだ今度の派遣は既婚者か。合コンできないじゃないか」やらなんやらと、もういちいち細かいことに目を向けてたら面倒なので「そんなもんだ」と呪文を唱えながら仕事をしていました。
一方でオーナーと始めたお店で働くスタッフはほぼ女の子。 「性別問わず意欲のある人と働きたい」とオーナーがいつも言ってくれたおかげで、諦め始めたわたしにも少しずつここから変えていけるんじゃないかと差し込んできた光に希望を見ることができたんだった。
そう。そんな大切なことをうっかり忘れてしまっていたのです。
理念をつくる時「わたしたちはその区別なく働くことができるこの場所が自慢だし、女性の服を扱う中でたくさんの女子の不都合や理不尽を解決してその想いを伝播させ、世界中を平和にしたい」 「女子を幸せ」にしたいんじゃない。 「女子から伝播させる」と決めたんだった。
女子の笑顔も。 女子も男子も性にとらわれない生き方の人も、みんなの気持ちをふわっと上げたい。その説明をどうして「違和感」と感じたのだろうか。揺るぎないわたしたちのスピリットをなぜわたしは疑ったのか。
近頃のコロナ渦もあってあれやこれやと言葉尻をつっこんでくる人たちを見ているうちに、いつの間にかわたしは「つっこまれたくない」と自分の中に《警察》を生み出してしまったのかもしれない。違和感を生んだ正体はわたしの中にありました。
違和感を感じてから本当にたくさんの人とこの話をしました。相手の質問にも揺るがない、以前にも増して確信できる。誰も置いていっていないし、誰かを特別にもしていない。テンション高めにする入り口に女子がいるだけなんだ。
「もう誰も性別なんかで区別したりしないよね」と世の中がなれば、わたしたちの理念から女子が消えるだけのことなんだ。だたそれだけ。
個人的には性別で区別されることにはあまり興味はないのだけど、そもそも生物的に構造の違う部分があるのだからそこは敬い支え合わなきゃいけないと思ってる。ジェンダー(社会的に作られる性別)はボーダレスであるべきだけど生物的性別はそこにあるのだから。背が高い人が網棚から荷物を取ってくれるシーンで「男に取らせやがって」みたいなことを言う世の中になることは望まない。できない部分を補填したりされたりしながらうまくみんなが生きていけるほうがいい。もちろん既婚未婚だけの問題ではなく性別の問題だけでもない。
でもわたしは「女子」っていうキーワードは残そうと思います。いや、残さないと「女子のテンションも上げられる」とあれだけスタッフと誇らしいと思ったあの気持ちはなんだったんだということになる。
で、色々と言いましたが
わたしたちの理念は《テンション高めの女子をつくる》です。
ぐるっとものすごく回りまくりましたが《テンション高めの女子をつくる》会社をこれからもどうぞよろしくお願いいたします。
浅野かおり