47つの都道府県
1741つの市区町村
4917つの有人無人あわせた大小様々な島々
1億2679万人が暮らす我が国。
※参照資料:総務省ホームページ
どこにいっても共通するのは
食べること
飲むこと
住むこと
そして
・
・
・
着ること
青空イーザッカマニア計画
これは、一通のお葉書から始まったとてもとても壮大な、私たちの夢がたくさん詰まったちょっと無謀なチャレンジのおはなし
いざ高速船へ!
事前に浅野から告げられていた言葉がある。
『波照間島をなめるな』
という短い言葉だった。
2016年に浅野は小浜島に旅行に来ていた。
そのため、この石垣島離島ターミナルという場所も1年ぶりにこんにちは。な感じだったのだ。
「小浜島には言ったから舟も大丈夫」
という浅野に波照間島を経験したスタッフから発せられた重い一言。
それが『波照間島をなめるな』という言葉だった。
それを聞いた私は完全にビビッていた。
なぜならば、私はとても酔いやすい。
遠足のバスとかでもすぐに酔ってしまったし、家族の旅行でもすぐ酔ってしまった。
そんな記憶があったのだ。
多分、三半規管が弱いのだ。
マヤさんからも厳重な注意が言い渡される中、酔い止めが配られた。
とにかくその日にならないと舟が出るのか出ないのかがわからないという感じらしく、マヤさんは天候が良かったことをしきりに喜んでいてくれた。
なぜなんだろうと聞いてみた。
波照間島にいける人といけない人がいる。
なかには9回もチャレンジしても舟が出ずにいけない人もいた。
運命の島っていわれているんですよ。
なんかとてもロマンチック。
『青空イーザッカマニアやっていいよ』そんな許可を波照間島がくれたのか。
▼舟に乗り込む私たち
いざ波照間島へ!
波照間島行き高速船に乗る際の注意事項。マヤさんからのアドバイスを元に確認を行う。
ものすごい海が荒れている場合、見分ける方法が、舟の前の席を開放しているかどうか。前が封鎖されていたら覚悟せよ!
私たちが乗った高速船は前2列が封鎖されていた。
まさかそのまさかなのだろうか。
でも石垣の海はちゃぷちゃぷと穏やかそのもの。
ほんとにヤバイ時は船員さんから黒いビニールが配られるぞ!
なんも渡されてない。大丈夫。
酔いやすい人は真ん中に座るべし!
しみちゃんと一緒に真ん中に陣取ることにした。大丈夫。
乗ったらすぐに寝ろ!
のびたじゃあるまいし。無理。
ちょっとした不安と一緒に私たちは高速船で波照間島に向かった。
ゆれるゆれる
ゆれるというか、はねる。
石垣島を出発してしばらくすると、舟がはねだした。
どのくらい揺れるのかというと、もう思わずヘラヘラするくらい揺れた。
揺れたというかはねた。
うっかりすると天井に頭をぶつけてしまう感じだった。
しかしながらマヤさんによると『これは揺れないほう』とのこと。
恐ろしい。
隣を見ると、しみちゃんが胸の前で手を組み、祈りながら目を閉じている。
そして、後ろの席に座っているドリームチームのあずあずは・・・ガチの船酔いで動けなくなっていた。
しかしながら・・・そんな中、浅野は雨を呼んでいた・・・。
ちょっと写真ではわかりにくいのだが、浅野サイドに見えるのは、西表島。
そしてそちら方面は完全にアツい雲で覆われていて、豪雨になっているのが遠目からでもわかる感じだったが、ところがどっこい、私サイドは快晴。
やばい。怖い。
そんないろんな恐怖体験をしながら、ヘラヘラしていると、見えてきた。
▼波照間島こんにちは。
波照間島に上陸
常にジェットコースターにのってる感じで、上陸してからもしばらくふわふわしていたが、無事に波照間島に到着。
▼上陸!
ひとまずは無事に到着。よかった。
時刻は17時。
荷物をおいて、一休みしてから
・送った荷物の確認をする
・備品をお借りしにいく
・ロケハンしにいく
というお仕事がまだ残ってはいるが、今日の大きな目的である『波照間島に着く』ということは無事に達成。
波照間島の日差しはとても強く、東京で感じる5月のそれとはやっぱり全然違って、改めて2000キロの移動距離のことをしみじみと感じたわけなのだけれども、明日誰も来てくれなかったらどうしようという不安と、どんな場所でどんな風にお店を作ろうかというワクワクと、そもそも人生初めての波照間島上陸とが相まって、まだまだちょっとぎこちがない様子の私たち青空イーザッカマニアチームの面々をふわふわした気持ちで見ている私がいた。
そして、わかったことは『私の三半規管は丈夫だった』ということ。
乗り物にのっていて吐いたことは多分1度くらいしかなかったということ。
『ウソ・オオゲサ・マギラワシイ』(ごめんなさい)