1月は様々なことに想いがゆらぐ月です。
わたしたちズーティーは、オーナーとわたしの震災経験がなければ今ここにはありません。
赤く燃えた街が焼け野原になり、なぎ倒された建物や高速道路、地滑りした山の手に、日常の全てが飲み込まれてしまった1月17日のあの日です。 何年経っても、失ってしまったことへの哀しみと、生き残ってしまったという罪悪感が消えることはありません。
震災から学んだこと
でも学んだこともたくさんある。
お互いを思いやる気持ちだけではなにも守れないということ。
あの時、なにができたのか
わたしは震災時一人暮らしで食料の備蓄はおろか、その日は飲み物さえも手元にない状態でした。当然直後は近くの小学校でもその日の給食分の牛乳しかありません。大人たちはそれを小さい子どもから飲ませていきます。朝ごはんを食べる前のお腹をすかせた子どもたちはそれでも寒くてお腹がすいて泣くのです。
コンビニのスタッフは逃げ出し無人となり、火事場泥棒的に荒らされている場所もありました。倒れた自販機からはお金が盗まれ、近くの宝飾店はわたしの目の前でショーケースが破られていきました。
そんな時、なにができたのか。
今でも思い悩みます。 シーソーで座っていたあの女の子にビスケットひとつ差し出してあげられたら、自分の飲み物をみんなが持てていれば、そっと優しさで包んであげられたんじゃないのか。結局わたしは見知らぬ人からの善意でその人の自宅にあった凍ったおにぎりをいただき、手で温めながら震災の翌日にようやく食べることができました。
わたしは人に迷惑をかけることはあったけど、周りの人へはなにもできなかったのです。
自分のことは自分でできているのか
普段の仕事でもそんな風に思います。
自分の仕事で誰かを困らせてはいないか。あの凍ったおにぎりのように、してもらってばかりではないか。自分のことは自分でできているのか。と。
まずは自分から。
言い聞かせていないとすぐに忘れて、人のために人のためにと、自分のできていないところへ気を配れなくなってしまいます。
まずは自分自身から
『わたしはなにを望まれている?』と聞く前に、『わたしはなにを望まれているのか』と自分に問う必要があるんじゃないかと思うのです。
そうみんなが考えられるようになればどんどん良くなっていくような気がします。
利他の精神も、まずは自分自身から。
至らないところばかりですが、今日も言い聞かせてズーティーの文化を作っていこうと思っています。
浅野かおり